ひつじライオンの夜明け

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自分と本気で向き合い癒したい。本質を見極める目を養いたい。そんなあなたへ新たな視点をご提案。

毒親という言葉がもたらす幻想と呪縛とは?私たちの人生に与える真の影響について解説!

―― 毒親

この言葉が広く一般に使われるようになって久しいですよね~・・・。私がこの言葉に出会ったのは、今から20年位前かなぁ。「毒になる親」という本がきっかけだったと記憶してます。

この言葉を知ったときの納得感は、それはそれは強烈なものがありました。

なにせ私自身、ゴリゴリの≪機能不全≫と呼ばれる家庭に育った、≪アダルトチルドレン≫カテゴリに華麗に当てはまっていたので(笑)

父の機嫌が悪い時は、なんちゃことないことで、よく目から火花が飛び散るほど吹っ飛ばされたなー・・・。その一方で、母とはピタッと癒着、コッテコテの共依存関係でした。

でも20年経った今は、「毒親」という言葉・概念に対して、かなり違う観方をするようになりました。というか、この言葉への興味をほぼほぼ失いつつあります

自分の内的変化が結構興味深いなぁと感じたので、その話をシェアしたいと思います。
よかったら読んでいってください。

毒親」という言葉にマインドがジャストフィットしていた時期

昔は確かにねぇ、こう思ってたんですよ。

「どうして私は、こんな毒親のもとに生まれちゃったんだろう」
「もし普通の親だったら、私の人生は違ったものになってた」
「私が不幸なのは親のせいなんだ」

・・・どうです?
この悲劇の主人公的思考(笑)
これ、「毒親」という魅惑的な言葉のマジックに見事にハマっちゃってますわ。

あ、そうそう。
毒親本に書いてあった通り、ちゃんと≪対決≫も試みましたよ。

それだけじゃなくて、更に、再起不能になるほど強い言葉で父を責め立てて彼の心をへし折り、家出に追い込んでしまった経験もあります。父がうなだれながら、荷物をカバンに詰めて家を出ていったあの日の光景は、今でも忘れられません(笑)

実は強かったんですねぇ私。
あ、言葉が、ですよ。

まぁ今考えると・・・そんな自分さえも愛おしくてたまらないんですが。

現在の親に対する想い

でも今は、生きづらさや人生の苦しみを、親のせいとは全く思わないです。

そして≪親≫という存在自体についても、彼らは親である前に、自分と同じ、ただの≪存在≫なんだという認識が強いです。

なので特別嫌うこともなく、普通。

あ、今でも彼ら、十分クセは強いですよ。以前より浄化が進んだような印象はありますが、それでもまだ大きいのを抱え込んでいるなぁーと感じています。彼らには彼らの、向き合うべき魂の課題がありますからね。

それでも現在は、私自身が彼らの課題に巻き込まれずに、入れ込みすぎず、物理的、心理的距離を上手に取っている感じに仕上がっているんだと思います。

なので父に関しては、私の意識にネガティブなイメージで上がってくることはありません。母に関してはね、正直まだ私の中に未浄化なものが残っている感覚があるんですよ。でもそれは私自身が内面に意識を向けて取り組むべき私の課題であって、もはや彼女は関係ないという認識です。

今は両親の幸せを願っているし、離れて暮らしているので、「元気にしてるかなぁ」って、ふと思い出すこともよくあります。でも、それだけのことです。

そうそう。
父について、これだけは確信していますが、今となっては、彼が私に手を上げることはもちろん、声を荒げることさえ無いでしょう。不可能でしょう。それは私がすでに彼という存在から卒業している感覚があるから。

――卒業。
うむ。この言葉がしっくりきます。

むしろ今は、自分が在り、大きな学びを与えてくれたことに対する感謝と敬意の気持ちが強いかな。やっぱりどう考えても、彼らの存在が、今の私に至るまで導いてくれたんだと確信せざるを得ない・・・そんな感じです。

毒親じゃない親」は存在するのか問題

ここは二元性の世界、つまり、左⇔右、善⇔悪、男⇔女など、正反対の二極で構成された世界です。なので、「毒親」という言葉・概念がこの世に存在する以上、「毒親じゃない親」という対極の存在も暗黙の了解として同時に示唆されているように思われます。

つまり、毒親じゃない親」を前提として、それとの比較で「毒親」が語られるわけです。

・・・が、ここで疑問が生じるんですよ。

そもそも、「毒親じゃない親」なんて存在するの?

「毒」が無い親。
それはつまり、理想的かつ完全無欠な親です。

一切悪い影響を与えない親。
常に最も最善の対応ができる親。
わが子のために一切の欲を捨てて、どんなときも真実の愛だけを注ぐ親。

います?
私はいないと思う。(即断言)

いや、いたらいいなーとは思いますよ。
そんな聖人、もしいるなら是非お会いしてみたい。

でもいないから。(即断言2回目)

むしろ、そんなありもしない幻想を追い求めることが、無用な苦しみを生み出してしまう原因にさえなってるんじゃない?・・・と、今はそう考えています。

もちろんそう考える私なりの根拠はちゃんとあって、それはインド哲学を学ぶ中で、人間存在の構造や、肉体をまとって生まれる理由なんかをとっても理論的かつ明確に知ることができたので、それが迷いを吹っ切ってくれたという点は大きいです。

肉体を持って生まれている以上、み~んなどこか未浄化なところを抱えている存在だし、不完全です。完全なら生まれてこない。

生まれてきている
=不完全
=認知、記憶、価値観などに偏り(未浄化の部分、つまり毒)がある

親だから・・・とか、大人だから・・・とか、そういうの、全然関係ない。

 言うなれば、人類のほとんどは生まれながらの毒持ちです。

この世界で「毒が無い人間」とは、生きながら解脱の境地に至った人(=ジーヴァンムクタ)のみです。お釈迦さんだって、最初は毒持ちでしたよ。毒があるからこそ、解脱に至るまでは迷い苦しみ絶望し、真実を求めました。

毒親」という言葉が私たちにもたらすもの

私自身もそうでしたけど、「毒親」という言葉は、理由がわからないけどとにかく生きづらい・・・そんな苦しみを抱えている人にとっては、天地がひっくり返るほどの意識の転換をもたらします。

その言葉の意味を知った瞬間から、親という存在、自分という存在、そして人生の諸問題について、価値観のポールシフトが起こるわけです。

これまで白だと信じていたものが、黒になり。
善だと思っていたものが、悪になり。
そして愛だと思っていたものが、愛じゃない何かになる。

それが親を否定する反発力になり、その結果、親を踏み台・反面教師として自分をぐんと肯定する力にもなる。そして自分の人生を生きようとする強い意志を持つことに繋がります。

ある意味吹っ切れますよね。
嫌ってはいけないと思い込んでいた親を、嫌っていいんだって思えるんですから。「あなたは何も悪くない、悪いのは親だ」って言われたら、そりゃあいつでも答えを知りがっている枯渇マインドはジャストフィットしますよ。

あまりに大きな意識の転換は、ストレスを一時的に通り越して快感をもたらします。≪納得感≫という極上の甘露がもたらされます。それは脳(=マインド)に悦びを感じさせます。

意識はどこへ飛んでった?

じゃあ一体意識はどこに転換されたのか?

・・・対極に飛んでいきました。

≪肯定≫から≪否定≫へ
≪好き≫から≪嫌い≫へ
≪受け取る≫から≪拒否≫へ
≪愛情≫から≪憎しみ≫へ

二元的世界の縛りの中で、単に、正反対の観方へと転換しただけです。要は、左側の崖っぷちで耐えていた人が、今度は右側の崖っぷちに移動したみたいな感じ。

観方は極端から極端に変わったけど、結局認知は歪んでる状態

だから「愛したい」と「憎い」、「許したい」と「許せない」、「親を責める」と「自分を責める」・・・など、正反対の二極のハザマで心は延々と揺れ動き続けます。

二元性に囚われるって、ほんと苦しいんですよ。愛情と憎悪、正反対の二極どちらも、苦しみであることには変わりないんです。

ここで一旦自分を客観視してみよう

さあて。
今絶賛体験中の人・・・

どうですか?
苦しくないですか?
親、否定して。

毒親」という言葉を認識する前とは、また別の苦しみが無いですか?

私はめちゃめちゃありましたよ。
むしろ以前より苦しみが増した感あったかも。

心の深~いところでは親から愛されたいのに、同時に頭で親を全否定するんだから、そりゃあ凄まじい葛藤で、心はぐちゃぐちゃでした。ほんと、自分が一体何なのかさえわからなくなってましたね。

あ!
因みに、これが「全然苦しくない」って人は、まだ「毒親」という言葉の一時的な甘露にズブズブと浸っている状態です。

親を対極に置いて、対極の親を反面教師に設定して、「ああはなるまい・・・」と念じながら、自分はどうありたいか、自己のアイデンティティーを確立しようと頑張っている・・・そんな段階。

自己存在を模索する体験は、成長するために絶対必要。全然アリです。大きな流れの中の、必要な段階なんですよね。自分を親から一旦完全に切り離して、人生をずんずん進んで創っていく段階なので、是非そのまま突き進んでいっちゃってください。

でも、この段階を通り過ぎると、再び課題は現れます。きっかけは子育てだったり、夫、兄弟姉妹、同僚や友人、舅姑、ご近所づきあいなど、あらゆる人間関係での悩みだったりします。

そう・・・でもその頃には、自分の内的苦しみをきちんと感じることができる意識状態になっているはず。準備は整った!段階です。

この段階にまで来た人は、今度は避けずに、その苦しみを観ていくことが、のちのちとっても大事になってきます

次回に続きま~す。