ひつじライオンの夜明け

ひつじライオンの夜明け

自分と本気で向き合い癒したい。本質を見極める目を養いたい。そんなあなたへ新たな視点をご提案。

親子関係の本質を魂視点で理解したとき、人は苦しみから解放される

親子関係の本質を魂次元で捉え直すために

今回はいよいよ親子関係について、最も微細な魂次元から眺めていこうと思います。

『魂次元から眺める』とは親子関係を、好き⇔嫌い、愛着⇔憎悪、許す⇔許さない・・・などの正反対の二極的な観方を超えたところにある、『魂の目的に沿った本質的な意味を理解する』ということです。

本質に触れると、二極の葛藤によって自分を縛っていた苦しみが、もはや意味を為さなくなります。執着していた正反対の二極どちらも、実はそんなに重要じゃなかったと気づき、どーでもよくなります。

「大切なことはそこじゃねぇ!!」とハッキリわかる感覚です。

そしてそこをわかった上で、自分の内側にある本当に大切なことにのみ集中して取り組むことでようやく、自分に対する観方が変わります。そうすると親をはじめとする他者に対する観方が変化し、起こってくる出来事に対する観方が変化し、世界に対する観方が変わり・・・。すると生き癖・パターンに気づくことができるようになり、気づいたタイミングでこれまでとは違う選択をするとパターンから抜け出し、人生が変わります。

だから、人間関係や出来事の本質を捉えることは、自分と自分の人生を変化させていくためにはとっても重要です。二極の対立に意識が囚われているままでは、本当の意味で自分を解放することは、まず無理です(断言)

「親を許したくなかったら許さなくていい。許せない自分を許そう。」というよくある考え方も、自分の心を楽にするという意味では一つの癒しではあります。でも、これも結局は、許す⇔許さないの二極の価値観の中で生きることには変わりないんですよ。

それに自分を≪許す≫のって、やろうとすると案外難しいでしょ?苦しいでしょ?そりゃそうですよ。≪許す≫も結局は二極の片割れ。この二元性世界の相反する二極はどっちに傾いても苦しみでしかない。人間レベルの相対的なジャッジでしかなく、魂レベルの本質じゃないから。
(このあたりのことは、前回までの記事に詳しく書いています)

今回はそこではなくて、その段階のもうひとつ先。

「そもそも最初から、許すも許さないも無かったんだわ(あービックリ・・・)」という新たなステージへ入っていくための、ものの観方のご提案です。

二極の価値観から自分を引き離し、シンプルに本質だけを捉えることで、本当の意味で自分を癒し、浄化し、解放へと向かわせるものです。

「許せない自分を許す」段階から、「許す許さないの二極の概念そのものから脱出する」次の段階へ・・・。

ちょっと難易度高めなので、取り組める準備が整った人が取り組む課題ということになると思います。そして今、あなたがこの記事を読めているということは、すでに準備は整っていると思われます。

・・・あ、”準備”とはどういうことか?というとですね。

ものごとの本質的意味を理解し、受け入れるためには、ある程度それが可能な意識状態である必要があるんですよ。これは私自身の苦い体験からも、ひしひしと実感していることですが、あまりにも意識の縛りが強く、小さいところに押し込めてガッチガチに固まってる状態では、今回の話を読んでも一切、何も入ってきません。たとえ頭で理解できたとしても腹落ちしない。浸透力ゼロ。

(私、昔ヨーガの師から指摘されたことがあるんです。「古い価値観が一杯ありすぎて、何も受け入れないね」って。とても厳しい指摘だったけど、図星でした。ガチでガッチガチの浸透力ゼロ人間でした・・・。そして今もやっぱり思考が強いタイプなので、ガッチガチになりがちなんです。だから少~しずつ浸透させていこうと、いろいろ試行錯誤してます^^;)

だからこそ管理人トヨは、これまで毒親シリーズとして、既存の価値観をグラつかせ、凝り固まった意識の枠を外して視点を引き上げるための文章を、あらゆる角度から延々と書き続けてきました。前回までの記事1~7は心の柔軟体操みたいなもんです。

いやーしつこかったですね。長かったですね。重々承知です。

でも、今回の記事は特に、既存の価値観がいい感じにグラついている状態で読んで頂きたい。なので未読の方、まずは前回記事からどうぞ。

では、まいりましょうか。
ここから魂次元の話になります。

神様の視点に転換して眺めてみると

前回までの記事でお伝えした通り、私たちは、自分と自分の人生を親を主軸に捉えているうちは、本当の意味で自分の人生を生きることはできません。

毒親自分を・・・」
毒親のせいで自分は・・・」
毒親から自由に・・・」

例えばこんな意識。
まるで親ありき。

親が自分の人生の中心に座しているような感覚を、自ら創り出していますよね。「親から囚われているカワイソウな私」という世界観の中で生きる宣言を、こういう妄想をするたびに、宇宙(=自分)に対して行っているわけです。で、その願いは毎瞬間叶い続けている状態。”カワイソウな私”を延々と体験します。

だから魂の課題は終わらないし、変わらない。何世も何世も、肉体をチェンジしては同じパターンを繰り返す≪輪廻≫という魂の病に私たちは苦しむんですね。
(※輪廻を魂の病と捉えるのはヨガの考え方)

ここから抜け出すためには、自分をガチガチに凝り固めて制限している視点を一旦全力で放り投げ、魂の視点から新しい視点で見つめ直すことが必要になってきます。

新しい視点とは、まるで神様みたいな視点。
『創造主』『観照者』の視点です。

つまり、魂の目的(=真の自分を知り、真の自分に至り、輪廻という魂の病気から自分を解放すること)を果たすその瞬間まで、この世界の全てをあなたに与えて、必ず目的にたどり着くと信じて見守り続ける視点

例えるならRPGゲームの制作者の視点のような・・・。

そんな視点で、≪あなた≫という存在と、あなたを取り巻く世界を、どこまでも高いところから、客観的に眺めてみましょう。

すると、親という存在に対する観方はこれまでとは違ってくるんですよ。

親の果たす魂次元の役割とは?

では質問です。

  1. あなたの親が、あなたの人生に、そういう感じ(人格や経済力や価値観等)で配置されたのはなぜだと思います?
  2. 親はあなたにどんな体験を与え、あなたはその体験から、本当は何に気づきたいんでしょうか?自分の何を知りたいんでしょうか?
  3. あなたを魂の目的に導くのに、あなたの親はどういう役割を果たしているでしょう??

・・・・・・・・。

あ、これ、魂次元で親という存在をどう捉えるか自覚するための質問なんですが、今わからなくても全然大丈夫ですよ。こういうのは頭だけでいくら考えてもわからないのが普通なんで。本質にたどり着かせたくないエゴちゃん(思考)が、ちゃんと邪魔してくると思います。

それよりもここで重要なのは、ものの観方のほうです。

『親をどう捉えるか』

これが、魂次元の観方では、肉体次元とは全く違うの、わかりますか?

魂次元では、愛憎とか、好き嫌いとか、許す許さないとか、そういう二極対立の視点とは全く別の視点から、親という存在を捉えているんです。

そう・・・これはまるでゲーム制作者がシナリオを考えるときの視点です。その視点からもう一度上の質問を読んでみてください。上でも書いた通り、ゲームの最終目的は『あなたが真の自分を知り、真の自分に至り、輪廻という魂の病気から自分を解放すること』です。この点はみんな一緒。

さて、あなた(=魂)があなたの人生のシナリオを書くなら、最終目的地へあなたを向かわせるために、どんな体験をあなたにさせたいでしょうか?

あなたがああいう感じの親の元に生まれたことで、体験してきたこと。苦しんだこと。気づいたこと。出来事は一見バラバラのように思えても、実は一貫した大きなテーマ必ず隠れています。それはひたすら『自分を知る』という最終目的にのみ沿ったもので、その全てが『自分を知ることができるあなたに成っていく』ための体験で、ただの一つも無駄な体験はありません。

そして親は、あなたがそれらの体験を滞りなく行えるように、あなたの人生に配置されました。

つまり魂次元では、親とは、あなたの人生に必要な体験と気づきを与えるために現れている存在です。

RPGゲームでいうNPCキャラみたいなものですよ。様々な体験を促し、ヒントや援助を与えたり、時にはピンチに陥れ、苦境にさえ立たせる存在。でもその全ては、主人公が成長し、いずれそのゲームをクリアするために必要があって配置されたキャラクター。

まさに神様は創造主。
自分で創って、自ら記憶を消すプログラムを仕込んどいて自分で楽しんじゃう変態ゲームクリエイター

結局のところ親は私たちに、今生向き合いたい課題の材料を与えてくれているだけ。彼らは自らの存在と人生を全て差し出して、わざわざ自らの≪毒≫を私たちに見せてくれてるんです。もちろん親本人はそんなこと無自覚だろうけど。

存在そのものが愛

因みにね。
私はこれって愛だよなぁ・・・と思ってしまうんですよ。いや、もう、存在自体がね。本当にすごいなーと。だって彼らは、私(魂)が欲している本質的気づきのために、未浄化なままで私の世界に存在して、自らの命を賭して、私に貴重な体験と気づきを与えてくれてるんですよ。苦しいだろうに・・・。

私が心底気づきを得るまで、私の人生の中で、何も変わらない状態で留まってくれている彼らって、すごくない?? 苦しいだろうに・・・。

毒を持ったまま(=未浄化のまま)変わらずにいるのって、本当に苦しいんですよ。たとえ無自覚でもね。

なにしろ、彼らも私たちと同じ『自分を知りたい』魂ですから。そのために肉体を持って生きているわけですから。本当は(意識の深いところでは)変わりたいんですよ。

そんな魂が、肉体という限りある命の時間を使って、親という役割の中で「私たちに体験と気づきを与える」という魂レベルでの最高の奉仕活動をしてくれてるわけです。それってもはや、存在そのものが愛だし、ホントすごいわぁ・・・と、率直に素直に、そう思ってしまいます。

存在が、愛そのもの。
私にとっては、在り難い存在。

(まぁ、そう思えないときも多々ありますけどね笑 やっぱり肉体次元の意識のほうが、この世界では強力ですから・・・)

愛は無限・・・ということは体験も無限にやってくる

もちろん親以外のすべての存在も、観方は同じです。

完璧な采配のもとで、完璧に配置された、完璧なタイミングで提示される完璧な気づきの材料をくれる存在(魂)たち。肉体次元の人間意識では「アイツ絶対許さねぇ・・・・」と一生恨みたくなるような大嫌いな人も、結局は私(魂)のために居てくれてる。

ソーデスカ、ソーデスカ。よくぞそんな人格キープし続けて、わざわざ私と出会ってくれちゃったわね、アナタ。

神(=自分)のクリエーター精神には、もはや驚愕ですよ。

よく創ったね、こんなキャラ・・・。
そこまでして一体私に何を気づかせたいんだい??

滅茶苦茶めんどくさいけど仕方ない、アイツとの体験が、自分の内側のどこに引っ掛かってるか、一回内面探ってみるかぁ・・・はぁ~あ。

と、毎回そんな感じです。

だって、せっかくだから、さっさと取り組んじゃったほうが早いでしょ?

なにしろ神の愛って無限∞なんで、回避してるだけじゃ、無限に似たような体験が差し出されてくることを、もう私は知ってしまっているから。

まるでダンジョンの無限ループかのよう・・・。古のヨーガ行者さんがこの現象を『魂の病』なんて表現しちゃったのもわかる気がするわ。

だからもう観念して、必要なことに気づいて課題をクリアしてしまったほうが、私的にはよっぽど楽なんですよ。

こちらが変われば大嫌いなアイツも、現状をキープする必要が無くなって、何かしら変わっていくんだろうし。

結局、新たなストーリーが展開していくようになるためには、自分のレベルを上げてダンジョンをクリアしていくしかないってことです。

・・・なんか例えがRPGゲームばっかりですみません。でも便利なんで、きっとこれからもこの例え話、しつこく使う予感します。

~~~~~~~~~~~~~~

はぁー。
めっちゃ下線引いた気がする。

そして残念なことに、今回で終わらせるつもりだったけど、全く終わらなかった!!! どなたか、”気がついたら超長文になってしまう病”を治す方法を知りませんか?

というわけで次回へ続きます。次回こそ、このシリーズ終わらせてやる~!