ひつじライオンの夜明け

ひつじライオンの夜明け

自分と本気で向き合い癒したい。本質を見極める目を養いたい。そんなあなたへ新たな視点をご提案。

親を毒親認定することで得ている無意識のメリットとは?自分と向き合う前に覚悟が必要な理由

こちらの記事は前々回からの続きものです。
最初から読まないと理解できない仕様なので、まだの方は大変お手数ですが、前回までの記事を全て読んで、又こちらへ起こしください。

因みに前回は・・・
親を毒親認定してみたところで、今度は毒親という言葉に縛られ、≪カワイソウな私≫という世界観を自ら創り上げて苦しむだけ・・・。愛着⇔憎悪、許したい⇔許せない、親を責める⇔自分を責めるなど、正反対の二極の想いの中でグラグラ揺れ動いている間は、本当の意味で心を解放・浄化することはできないよ!私たちが本当に気づきたい親子関係の本質は二極を超えたところにしか無いよ!っていうお話でした。

今回の記事は、親を毒親認定することで得ている無意識のメリットについて、私トヨの体験談も含めて述べていこうと思います。

よかったら読んでいってください。

※この記事は、毒親という概念から自分を解放して、本気で自分と向き合って癒していきたいと願っている人に向けて書いています。毒親を嫌い続けていたい人、親が全て悪いと信じていたい人は、読んでもイライラするだけなので、ここから先は読まないことをオススメします。自己責任でご判断ください。

毒親認定ラベルを貼ってたほうが楽だったりもするが・・・

・・・親を毒親認定してると、楽ですよね?

・・・・・・ねっ(・▽・)?

いや、本当は楽じゃないんです。わかってます。だけど、『ある意味では楽である』とは言えるんじゃないかと考えています。

自分の親が毒親だと考えるだけでとっても悲しいし、罪悪感も湧いてくるし、逆に怒りや憎しみも感じます。本当はずっと苦しいんです。誰か助けて!!!叫んでしまいたい位。

でも!でもね。
それでも、親を毒親認定することで、”死ぬほど怖い例のアレ”からは、自分を守り続けることができてるんです。毒親として親を否定し続けることで得ているメリットは、確実に存在します

このメリットが、潜在意識のエゴちゃんにとっては超重要。たとえ99が≪苦≫だったとしても、残り1の≪楽≫のほうを選びたくなる位には、大きいんです。

ラベルを貼っておくメリットとは?

さてさて。
ここで一旦、腹を据えましょうか。

そもそも私ね。
上でも書きましたが、この記事に関しては、自分自身を心の底から変えていきたいと願っている人が読みに来てくれると信じ切って書いているんです。そういうわけで、せっかくだし、ここはあえて、潜在意識に少し揺さぶりをかける問いかけをしてみたいと思います。いきます。

毒親に・・・」「毒親のせいで・・・」っていつも言ってるけどさ。それって要は、自分自身から、逃げてるんだよね?

逃げてる。
回避してる。

毒親』という概念を便利に活用することで、自分と、自分の人生に本気で向き合うことから逃げてます。

自分と本気で向き合わずに済む。

これです。 

あ!親から逃げてるっていう話じゃないのでご注意を。私は、関わりが難しい親とは、まず適切な物理的距離を取ることがとっても大切だと考えてる人なので(私も心を整えるためにまずは親から物理的距離取ることから始めました)。むしろ過酷な環境にいる人は、可能なら早めに親フィールドから退避したほうがいい。勇気ある撤退推進派です。

今回の話は“親“じゃなく、“自分“から逃げてる、ね。

これこそが、潜在意識のエゴちゃんが愛してやまない最大のメリットです。残り1の≪楽≫ですね(←これもホントは単に、エゴちゃんが苦と楽を勘違いしてるだけなんですけど・・・)。

そして同時にエゴちゃんにとって、自分と自分の人生に本気で向き合うことは、”死ぬほど怖いこと”でもあります。

怒りが湧くのは当然です

「逃げてる」なんて・・・・・。
厳しいですよね。わかってます。私もそうですが、親に虐待された経験がある人なんか、特にね。

苦しい人生を辛くも生きてきた末、自分のこと何にも知らないババアなんかに「あんた逃げてるよ」なんて言われたら、そりゃあ到底受け入れられるもんじゃないですよ。怒り心頭だと思います。

怒りをワキワキさせてしまったことについては、謝り・・・ません。その怒りはあなた自身のものです。とっても正当な感情です。私が保身のため安易に謝ってしまった瞬間から、またあなたを被害者スタンスに陥らせてしまう。せっかく湧いてきた大切な感情を無為にしてしまう。それではこのブログを書く意味がありません。

なので「どうかその怒りを大切にして、怒りの奥に隠れているご自身と深く静かに向き合ってみてください」と、今はそれだけお伝えしておきます。

まぁ、私も自分の身がクッソかわいいので、ちょっとだけその怒りを回避させて頂くと、上記の「逃げてる」のくだりは、あくまで私自身の体験からの個人的洞察、ごく私的な考えと理解してくださると助かります。(なので不要な情報と判断した場合は上手にスルーして、捨て置いて頂けると助かります。)

それと、そもそもこのブログ自体が、自分を内側から本気で変えていきたい人に向けて書いているため、潜在意識にべったり粘着して、苦しみの原因となっている古い価値観に揺さぶりをかけることを意図しています。なので陰性感情が湧いてくるのはある意味当然です。自分を変えたくない安定大好きエゴちゃんからすると、とんでもなく大迷惑でしょう。なんやコイツ!と批判したくなる気持ち、よくわかります。

でもその湧き上がった感情こそが、自分でも気づいていない本音・本心へと必ずつながっています。エゴちゃんに封印されたインナーチャイルドちゃんが、その感情の奥に確実にいます。できたらご自身と向き合うキッカケにしてくださるといいなぁ・・・という想いはあります。この点は私個人の勝手な願いです。

自分と向き合うには相応の覚悟がいる

それともうひとつ。
「腹を据える必要がある」のは、無意識で逃げてると、自分と向き合う扉がいつまでたっても開かないからです。いざ内観するときに向き合いきれず、エゴちゃんが無意識パワーで華麗に回避する隙を与えちゃうんでね。

なにしろエゴちゃん、回避のプロだから。心理的ブロックをあちこちにバラまいて、意識の深いところにまで入れないよう防衛力を発揮してきます。半端な気持ちじゃ、この防衛ラインは突破できないです。

自分と本気で向き合うためには、『自分が自分から逃げてる』ってことを明確に自覚し、もう逃げないと決心する必要があります。覚悟が要ります。

覚悟は、自分の意思の力でしか、成せないです。なので、ちょっと強い言葉をあえて使わせて頂きました。ここまで読んでどう自分の心が動いたか、よかったら今のご自身の状態をチェックしてみてください。

それでも向き合えないときは、逃げていいんだ

あと、これだけ語っといてなんですが、逃げていいんですよ。自分と人生から逃げていなければ心が保てない時期だってあります。全て親のせいにしてなきゃ、生きていけないほど心が複雑骨折しちゃってることも、あります。

そして親のせいにして生きることだって、生き方の選択のひとつです。正々堂々、『逃げる』コマンドを選択するんです。今はそういうターンだと、自分をどこまでも肯定してね。逃げる自分をどこまでもあたたかく見守って、寄り添い続けてあげてほしいです。

ただ、この点は次回あらためて触れる予定ですが、逃げるときの意識の持ちようだけは、いずれ自分と向き合う段階に入るときの下準備として知っておいたほうがいいコツがあるので、それだけでもお持ち帰り頂けると嬉しいです。

私が逃げてた頃の話

正直、逃げまくってました。

私こう見えて(どうみえてる?)、人生経験がまぁまぁ豊富なんです。イベントだけピックアップしても、小学生時代はイジメに遭い、自宅が火事2回、泥棒がちょうど家に侵入したところに母と一緒にご対面、父の借金、父連帯保証してた知人から逃げられ家財一式差し押さえられる、父追突事故起こすが相手の車がヤのつく兄貴だった、父ハーレーダビットソン詐欺に引っ掛かる、父家をごみ屋敷にする、父破産とそれに伴う一家夜逃げ・・・え、父関連やばい。書いてみてビックリ(笑)他にも、信頼してた友人恋人の裏切り、リーマンショックで仕事を切られ、原因不明の病気になり・・・。

出来事だけでもお腹いっぱいなのに、両親ともに(私も)抱え込んでる未浄化なものが大きかった。あ、いや、抱えているものが大きいからこそのビックリイベント祭りだったとも言えますが。父はDV連鎖の家庭環境で育ち、非常に精神的に不安定、躁鬱が激しい気分屋な一面が。そして母は自己肯定感が低くて『弱くて可哀想な自分』でいることで周りを支配コントロールする過干渉な一面があります。どちらもまるで子どもの意識のまま肉体だけ大人になったような印象でした。子供の頃から、子どもみたいな二人だなぁ・・・自分がしっかりしなきゃ!と常々危機感を抱いていました。

とにかく安定・安心とは正反対の環境で育ちましたね。人生も大荒れだったし、自分自身もすごい荒ぶってました。不安しかない。世界は敵だ!と本気で信じてました。

そんなわけで私のエゴちゃんは人生経験値がまぁまぁ高く、それゆえ怖れが強烈で、しかも防衛力がえげつないのです。怖れを超高性能センサーにして、少しでも危険を察知すると全力で回避しようとします。危ない橋は叩いて叩いて叩いて叩いて・・・・・橋壊す、みたいな。変化しかない流転の人生だったんで、とにかく変化が怖いわけです。

平均・平凡・普通・一般的・安定・影薄い・目立たないこそが最高の状態。

もう重いもの背負えるだけ背負ってるのに、これ以上何を背負えと!?は!?自分の人生の責任!?持てるわけねーだろ!!!バーカ(・∇・)

(↑エゴちゃんの気持ち)

なので自分の人生を自分で創るなんてもってのほか。全力で逃げるために、最終的に人生のうまくいかないこと全部、何もかも親のせいにするようになってました。もちろん無意識でね。本人は逃げてる自覚なんてありません。必死に生きてますから。

あと、昔、父から「育て方を間違った」と言われた経験も大きかったかも。当時はこの言葉をそのまま受け取っていたため、まるで自分は間違いそのもの、不良品の烙印を押されてしまったような虚無の感覚に苛まれてましたね。そしてこのことをずっと引きずっていたので、何かうまくいかないことがあると、「あんたたちが育て方間違ったんだろ!こんな風になったのは私のせいじゃない!!」って、自分から問題を無理やり引き剥がして目を背けさせるための常套句になってました。

自分の力で人生を変えていく自信が無いし、そもそも変化すること自体が怖いので(エゴちゃんはたとえ底辺でも安定が好き)、なんだかんだ、うまくいかない理由を親に求めるんですよ。親のせいにしとけば、とりあえず≪楽≫でしょ?自分で責任を負わなくていいんだから。

このメリットに無自覚に囚われると、≪カワイソウな私≫沼から自力で抜け出すのは非常に難しいです。なので、まずは親のせいにしておくことで自分にどんなメリットがあるか、内観してハッキリと自覚することがとても大切になってきます。

はい。
今回はここまで。次回へ続きます。

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そしてここからは余談というか、後日談。
上述した父親の「育て方を間違った」発言に関しては、現在は引っ掛かりは無くなっています。だってそう誤判断したのは、私の本質を正確に観ることができない彼自身の心のレンズの曇りっぷりが問題で、しかもそれを言葉にしちゃう彼の心の弱さが問題なだけであって、私の問題じゃなかったんで。

そもそも人間とは、間違った観方(=これを前回記事では≪毒≫と表現しました)ばかりしてしまう生き物ですが、本質的な”存在”と”その人生”には間違いなどあり得ないです。不完全なところも含めて、大きくて完璧な流れの中で生かされているのに、間違い⇔正しいの二極の価値観なんかで、人間存在を縛ったり測ったりすることなんて、できるわけ無いんです(断言)。

要は、父の曇ったレンズでは私を正しく観ることなんて不可能。父に私という存在を測ることはできません。まずはレンズの曇りをキレイにしてもらわないとね。

だから父はもしかすると今でも「あいつの育て方を間違った」と思っている可能性はあります。でも、彼がそういう世界観を創ってその中で生きたいのなら、それは彼の願いなので、私にはどうしようもないことですよね。父が思う理想的な娘像を演じてあげるわけにはいかないし。それに、父にどう思われようが、私という存在は揺るがないじゃないですか?特に影響がないといいますか・・・。だから、それはそれで、いいんじゃないかなぁと思っています。彼は苦しいでしょうけど。

まぁ実際問題、もし今同じことを言われたとしたら、言われた直後は一瞬心は動きますが(それが心の働き・役割なので)、すぐに「いやそれって育て方じゃなくて、観方が間違ってるね。だってさ・・・」と即答&長々と解説し始める予感(笑)人間の心の在りようを語り出すと面白くて止まらない病が出そう ←

・・・どうやら、下手に絡むと大変めんどくさい人間には、立派に育っているようです。見事な育ち具合。これでいいのだ。